一神教は多神教に属する。
 
 
原始宗教にこそ真理が見える。
原始宗教の基本でもある、
多神教こそが自然の流れであり、
多神教と言われると語弊があるが、
 
広大な宇宙神はひとつである。
 
 
 
神は道端に転がっている小石にさへ、
 
神の力を注ぐことも出来、
 
神の代理である天使にも変えることも出来る。
 
それゆへに海山川空全ての自然を敬い、
拝む心を人々に植え付け、
人間の謙虚さを研ぎ澄ますことを神は思い巡らしている、
自然を敬うことは神を敬うことで偶像崇拝とは違う意味で、
素晴らしい事だと言える。
 
 
多神教とは、
広大な宇宙である神が、
人々に神の意識を伝えるとき、
あらゆる物を使う、
例えば道端に転がっている小石にさえも、
神の力を降り注ぐことが出来る。
 
普通に一神教に見られる
我が神が唯一神だ!
と唱えると、
つい他人の敬い拝む自然神や、神殿等を偶像崇拝と称して、
壊滅的な崩壊や憎しみを込めた戦争に及ぶ。
其処が間違いの基である。

此処2000年位、 世界の歴史は一神教の争い事や、

一神教の自然崩壊が目につく。 

 

一神教には避けられない他の、

宗教に対しての思いやりのなさ、 他の宗教への攻撃性。

 

どんなに美辞麗句に言葉を綴っても、
結局は分裂は避けられない。
一神教の神は妬みの神と言われ、
他の神を敬い拝めば、
妬みの神は嫉妬で怒り狂う。
 
此処が間違えた教えで、
神は妬まない。
嫉妬に狂いもしない。
 
聖典に書かれているのは神の言葉だけでなく、

悪魔が書き加えた箇所も随所にもみられる。
 
もし日本国が、
一神教人々の集まりであったなら、
国土は焦土かして、
何分割な国になっていて自然崩壊や歴史的に重要な、
神社、御寺などが残っていなかった。
広大な宇宙の中の多神教であったからこそ、
神社や御寺が現在でも残っていて、
歴史の史実を人々に伝えることもできている。
 
日本の文化も綺麗な形で残っている。
 
それは一神教とは根本的な違いである。

根本的に仏教やキリスト教も多神教に属する。
ゴータマ・シッダールタも修行中
様々な神を見出している。
キリスト教も、
神=聖霊=イエスキリスト。
三位一体として根本的には多神教に属する。