成功、幸福を招き入れるのは神に祈ることから始まる。

2016年03月17日 16:17

 

 

人間どんなに頑張っても、

自分の思うと通りに行かないのも現実である。

 

思い通り行かないのが世の中の常と考えればよいが、

色々な人々の成功伝記などの見るにつき、

人間頑張れば思い望むことが叶えられると信じこみ、

一生懸命頑張って見るが、中々思いど通りにいかないで、

悩みや苦しみを背負うことになる。

 

確かに、自分で思い通りの形になれるが、

完璧に思い通りに成れた人は、

稀ということ考えなければならない。

その事を考えずに行動すると、

余計自分自身を追い込み自分自身を苦しめることになる。

 

では「稀」に思い通りに成れた人はと、

観察してみると、

「幸運」な人が稀に成功していると言える。、

 

「幸運」

 

成功や幸福を勝ち取れない、人の間違えた思考に、

「運」は自分で開いていくもので、

努力だという思い込みの人が多いということである。

 

「運」が世の中支配していると薄々感じても、

そんなことは無いと自分で打ち消し

努力すれば出来るんだと、自分の力だと、

自分で自分自身に言い聞かせて、人生を歩む人の勘違いが、

失敗、不幸を招いている要因である。

 

思い通り行かないと、

自分の人生に、

自分自身の努力が足りない等と、益々自分を追い込み、

自分自身を苦しめることになる。

 

少し、

成功、幸福を招いている人のことを観察してみると、

成功、幸福を招いている人の行動に言えることは、

神仏を大切に敬い拝んでいることに目を行く。

成功、幸福を招いている人は、決して努力だけではない。

目に見えない神仏を信じ敬意を払っている人が。

 

決してワンマンだけでなく、

決して自分の力だと嘯くのでなく。

 

神仏のお陰、皆さんのお陰と感謝の気持ちで、

成功、幸福を招き入れている。

 

そこで私が声を大きく訴えても、

イヤ!違う!運は自分の努力で切り開くものと嘯く人もいる。

確かに自分の力で成功している人もいる。

が、

自分の力で切り開いた成功は、

人間の傲慢さは、

 

大きな成功を勝ち得ても、大きな不幸を招き入れて、

太極的に見れば失敗である。

 

世の中の争い事は、その思い上がった人々の業にある。

 

成功、幸福を勝ちとった人の話を聞くと大概「運」が良かったという。

謙虚な気持ちが大切である。決して傲慢さが見えない。

 

では、、、

正しいき神仏に祈るとは、

 

原始宗教とも言える。

 

ヤッハーラーバー神。

 

こそ正しき原始宗教の基といえる。

ヤッハーラーバー神を敬い拝むことで成功、幸運を招き入れる。

 

日々、

「ごうしんぞうこう・・・・・・・・おうこうぜんりょう」を唱える。

 

もし、、疑い深い人がいるなら、

「ヤッハーラーバー」と

7分だけ繰り返し唱えてみてください。

心構えが変わってくること、

手に取るようにわかります。