宗教

苦しみ悲しみから逃れる

2026年03月19日 07:22

 

 

現代社会は、ストレス社会と言われるぐらいに、

人間関係でのストレスで苦しむ人が多いと聞きます・

それに現代社会はかなりのスピードで、

仕事など日常生活を上手く載り切らないと余計ストレスが溜り。

うつ病やガン等の大きな病気に掛かる可能性が大きいのです。

 

現代のストレスから逃れるためにも、

色々な工夫をして現代社会を生き抜いています。

 

それでも間違えたストレス解消を行うと、

余計に大きなストレスを抱えることになります。

 

成功、幸せを手に入れる前に病気になり、

不幸な人生を歩むことになります。

 

日々神への祈りを行うことにより、

心身とも軽やかに全てが上手くのです。

(瞑想ともいえます。)

ストレスは悪の根源、

健康こそが成功、幸福を手に入れる近道です。

日々神に祈りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

カルト集団

2024年06月13日 23:30
 
宗教にも色々あるが、カルト教団について考えてみたい。
 
カルト教団に洗脳されて、
気が付くと貧乏な生活を過ごすように陥っているとなると、
最悪な人生とも言える。
 
気が付いた時に其の宗教から抜ければよい事であるが、
注ぎ込んだ金や人生が無駄に思えて中々抜け切れなくなり、
ズルズル嵌まり込み。
何時の間にか、カルト宗教の中で、
悔悛の場である今世を送る羽目になる。
 
 
10分の1の献金なら教会運営などで致し方がない事と思える。
 
教会だけが潤うのではなく信者も潤い、
健康的な生活を営める宗教なら、
後悔は無いと思えるが、
 
献金の10分の1どころか、
其れ以上に搾り取られたなら最悪な事態に陥る。
教会は潤うが信者が貧しいのなら悲しい事でもある。
搾り取られた挙句、
壺等や本等売りにでも駆り出されたなら余計最悪である。
 
信者から、
お金を絞るとる為に借金までさせるカルト集団に、
洗脳されたなら救いようがない。
献金しすぎて献金する金が無いので他の信者を入信させ献金させる、
 
何時の間にか教義の真意などは二の次になる.
自分だけ苦しむのなら構わないけれど、
家族、親戚、友達を苦しめるのも、
 
中々救われないです。

 

 

 

 

 

 

意味の分からない宗教や憑依

2024年06月12日 00:02
 
 
 
 
 
 
 
間違えた宗教を広める事は、
 
他人を残虐に傷つける事より罪である。
 
宗教の中には亡き人の霊を呼び込む憑依と言うのがある。
 
例えば昔の有名人、坂本竜馬なら、
 
坂本竜馬の霊を自分の身体に憑依させ、
 
竜馬本人の話などを語らせる、
 
または、
 
色々な人の霊を憑依させ話を語らせる宗教人もおる。
 
宗教家に言わせると誰での霊も呼ぶことが出来るらしい。
 
大概、憑依を信じている宗教家は、
 
輪廻転生の現象を確信している。
 
この書でも何度か輪廻転生を扱っている。
 
ハッキリ言えば呼び出された霊は、
 
輪廻転生の時期に入っている。
 
例えば坂本竜馬の霊なら、輪廻転生の最中で、
 
他の肉体に入っている状態の方が可能性が高いので、
 
他の肉体に入っている霊を呼び出しても、
 
他の肉体に入っているので呼んでも憑依もできない、
 
大概の霊、
 
親や亡き人等の霊をを憑依で呼ぼうにも。
 
新たなの肉体に入っている状態の方が多いので、
 
呼ぶことが出来ないし、憑依も出来ない。
 
出来ないのに無理に憑依などで呼ぶという、
 
おかしな事を平気でする。
 
 
その事を踏えて人の憑依霊現象はできない。
 
出来る環境にはない。
 
 
 
 

聖書は悪魔が書き加えた個所

2024年06月08日 23:35

 

 
 

聖書は悪魔が書き加えた個所ともある。

 

聖書は神の言葉と唱えているけど、

捏造、改ざんは平気で行われていた。

 

 
「カトリック百科辞典」も、
捏造、改ざんの形跡をも認めている。
 
四つの正典福音書も改ざんされている。
聖書の内容を統一しようにも、四つの福音書でさえ矛盾だらけである。
 
マタイ伝のイエスは、ダビデからソロモンへ流れる高貴な王家で描かれ、
ルカ伝ではイエスの家柄は低くなり、
マルコ伝では大工の息子になっている。
 
マルコ伝とマタイ伝とでは、
イエスが死ぬ間際に「我が神、我が神、何故私をお見捨てになられたのか?」
と漏らし、ルカ伝では「父よ私の霊を御手にゆだねます」になり、
ヨハネ伝では、「全てが終わった」となる。
 
これだけでも分かる様に四つの正典福音書の矛盾が見える。
 
全て神の言葉として唱えるなら争いの元になる。
 
よくよく神の言葉は気をつけて読むことである。
 




キリスト教の争い。

世界には多数の宗教が存在する。

特にキリスト教が、

多数を占めているのも事実である。
キリスト教とて正教徒、プロテスタント、カトリック、等の様々な宗派に分かれ、
聖書の解釈では細かに分裂している。
同じキリスト教なので水と水なのかと思いきや、
水と油で争い事も絶え間ない。
 
福音書のあり方から違う。
 

現在の福音書は4つである、

初期のキリスト教には福音書は結構あった。

 

現在の4つの福音書が選ばれた理由は、

政治的な意図から、

 

ローマ帝国を守る為に、

ローマ皇帝ユンスタンティヌス1世が

ニカイア会議のなかで、

力で有無も言わせず4つに決めた。

 

トマスの福音書、マリアの福音書、ユダの福音書、ペテロの福音書等。

今まで愛読していた福音書を排斥したのは、

権力者や指導者や司祭、司教者にとっては邪魔でしかなかった。

 

トマスの福音書は教会、司祭、司教者の力を借りなくても、

神と結ばれると言う教えで、、

現在でもキリスト正統から異端視され、

歴史から消え去られようとしている。

 

福音書で古いのはマルコとなっているが。

考古学者によれば、

トマスの福音書が古いと言われ、

逆に考えればトマスの福音書が事実に近い事になる。

 

トマスの福音書は階級社会から外れていて、

時の権力者にとっては邪魔でしかなかった。

 

マグダラのマリアは娼婦と言われているけど、

実はイエスの弟子であり、

使徒のリーダー存在でもあった。

女リーダーを妬んでた、

他の使徒たちは、

彼女を貶め入れようとしたのである。

 

イエスは秘密の話をマグダラのマリアだけに話している。

 

人が死んだら、

 

正統派では喜びの満ちた天国に行けるとあるが。

 

イエスはマリアに、

死んだら人の霊は不思議な旅に出て宇宙を彷徨いながら、

善なるもの悪なるもの達と出会いながら、

天国なる星までたどり着くと言われている。

( これは唱えている宇宙神論に合います )

 

此処でもマグダラのマリアの福音書が外されたのにも、

昔からの考え方であり、

男尊女卑の影響も否めない。

 

イエスの隠れた秘密をマリアだけに教えたとの話に、

ペテロが憤慨して皆に叫んで言った。

 

「イエスは隠れた秘密を女に語ったのか?」

 

我々は女の話を聞かなければならないかと?

マリアに、

問い詰める場面がある。

 

しかし他の使徒がマリアを、かばうように、

イエスが彼女を相応しいと言ったなら、

それを拒む貴方は誰なのかと?

 

 

時の権力者、司祭、司教者にとっては、

マグダラのマリアの福音書は邪魔でしかなかった。

 

聖書は良く見れば悪魔が書き加えても不思議ではない個所が一杯ある。

全て神の言葉と捉えたら争い元になる。

 

混乱させて争う事も悪魔にしてみれば良い事でしかない。

 

聖書をが何故今の形になったかを、

翌々考えてみる事も必要である。

 

 

ただ、

美辞麗句な言葉だけを捉えて、真実を見ない事も、

大罪である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の苦しみ悲しみ

 

 

人生の苦しみ悲しみは、

数えたらキリが無いです。

生まれてから人は不幸と隣り合わせです。

その不幸も突然襲ってくるのもあり、ゆっくり襲ってくることもあります。

元々人は罪と不幸を背負って生きている様なものです。

 

確かに人の生活には幸せな時もあり、不幸な時もあります。

また、

自分が幸せな時期にいるのに、幸せをかみしめない人もいます。

お金があるのにまだまだ足りないと嘆いてみたり、

金が無いと将来の不安を無暗に嘆いたり、

悩み苦しみは益々募るばかりで 自分で不幸を煽る人も多いです。

親しい人の死別は悲しい事です。

人は誰でも生まれては死にます。

 

それは仕方がないことです。

この地球に存在している限り避けられない事実です。

日頃からハッキリ自覚する必要があります。

死は誰にもあります。

輪廻転生の繰り返しです。

貴方自身、貴方の大切な人も必ず死にます。

悲しみ苦しみは時間が緩和してくれます。

 

まるで光の見えないトンネルの中にいるような、

絶望的な時間に襲われ、光が見えない気がします。

でも、

闇の世界は、自分自身が悪に染まらないかぎり光が見えてきます。

絶望の後は希望が見えます。

力強く耐えることも必要です。

 

何時も感謝の気持ちを持つことも大切です。

 

 
 


 

 

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