聖書は悪魔が書き加えた個所

2024年06月08日 23:35

 

 
 

聖書は悪魔が書き加えた個所ともある。

 

聖書は神の言葉と唱えているけど、

捏造、改ざんは平気で行われていた。

 

 
「カトリック百科辞典」も、
捏造、改ざんの形跡をも認めている。
 
四つの正典福音書も改ざんされている。
聖書の内容を統一しようにも、四つの福音書でさえ矛盾だらけである。
 
マタイ伝のイエスは、ダビデからソロモンへ流れる高貴な王家で描かれ、
ルカ伝ではイエスの家柄は低くなり、
マルコ伝では大工の息子になっている。
 
マルコ伝とマタイ伝とでは、
イエスが死ぬ間際に「我が神、我が神、何故私をお見捨てになられたのか?」
と漏らし、ルカ伝では「父よ私の霊を御手にゆだねます」になり、
ヨハネ伝では、「全てが終わった」となる。
 
これだけでも分かる様に四つの正典福音書の矛盾が見える。
 
全て神の言葉として唱えるなら争いの元になる。
 
よくよく神の言葉は気をつけて読むことである。
 




キリスト教の争い。

世界には多数の宗教が存在する。

特にキリスト教が、

多数を占めているのも事実である。
キリスト教とて正教徒、プロテスタント、カトリック、等の様々な宗派に分かれ、
聖書の解釈では細かに分裂している。
同じキリスト教なので水と水なのかと思いきや、
水と油で争い事も絶え間ない。
 
福音書のあり方から違う。
 

現在の福音書は4つである、

初期のキリスト教には福音書は結構あった。

 

現在の4つの福音書が選ばれた理由は、

政治的な意図から、

 

ローマ帝国を守る為に、

ローマ皇帝ユンスタンティヌス1世が

ニカイア会議のなかで、

力で有無も言わせず4つに決めた。

 

トマスの福音書、マリアの福音書、ユダの福音書、ペテロの福音書等。

今まで愛読していた福音書を排斥したのは、

権力者や指導者や司祭、司教者にとっては邪魔でしかなかった。

 

トマスの福音書は教会、司祭、司教者の力を借りなくても、

神と結ばれると言う教えで、、

現在でもキリスト正統から異端視され、

歴史から消え去られようとしている。

 

福音書で古いのはマルコとなっているが。

考古学者によれば、

トマスの福音書が古いと言われ、

逆に考えればトマスの福音書が事実に近い事になる。

 

トマスの福音書は階級社会から外れていて、

時の権力者にとっては邪魔でしかなかった。

 

マグダラのマリアは娼婦と言われているけど、

実はイエスの弟子であり、

使徒のリーダー存在でもあった。

女リーダーを妬んでた、

他の使徒たちは、

彼女を貶め入れようとしたのである。

 

イエスは秘密の話をマグダラのマリアだけに話している。

 

人が死んだら、

 

正統派では喜びの満ちた天国に行けるとあるが。

 

イエスはマリアに、

死んだら人の霊は不思議な旅に出て宇宙を彷徨いながら、

善なるもの悪なるもの達と出会いながら、

天国なる星までたどり着くと言われている。

( これは唱えている宇宙神論に合います )

 

此処でもマグダラのマリアの福音書が外されたのにも、

昔からの考え方であり、

男尊女卑の影響も否めない。

 

イエスの隠れた秘密をマリアだけに教えたとの話に、

ペテロが憤慨して皆に叫んで言った。

 

「イエスは隠れた秘密を女に語ったのか?」

 

我々は女の話を聞かなければならないかと?

マリアに、

問い詰める場面がある。

 

しかし他の使徒がマリアを、かばうように、

イエスが彼女を相応しいと言ったなら、

それを拒む貴方は誰なのかと?

 

 

時の権力者、司祭、司教者にとっては、

マグダラのマリアの福音書は邪魔でしかなかった。

 

聖書は良く見れば悪魔が書き加えても不思議ではない個所が一杯ある。

全て神の言葉と捉えたら争い元になる。

 

混乱させて争う事も悪魔にしてみれば良い事でしかない。

 

聖書をが何故今の形になったかを、

翌々考えてみる事も必要である。

 

 

ただ、

美辞麗句な言葉だけを捉えて、真実を見ない事も、

大罪である。