聖書は神の言葉だけでなく悪魔が書き加えた箇所もある

 

 

聖書は神の言葉だけでなく悪魔が書き加えた箇所もある。

 

聖書を研究するとき、

全ての聖書の言葉を神の言葉と捉えると争いの元となる。

イエスが悪魔の誘惑を受けるために44日44夜断食したのち、

悪魔は色々な手でイエスを誘惑する。

イエスはそれらを退けている、

その事からも、

悪魔は人々が神に逆らうように、

色々な手を尽くして策略をねっている聖書に細工を施している。

 

悪魔は十分知っている。

人々が神に逆らうための一番よい方法は、

聖書に悪魔の手を加える事である事を。

 

聖書に悪魔の手を加えることにより、

人々は悪魔の思惑通りに翻訳の相違などからも、

世界中での争いの火種になってい事が証明されている。

 

聖書と向き合うときは、

泥沼に落としたダイヤモンドを探し求めるような事と等しく、

泥沼に手を入れて輝くような言葉を探し当てる。

そしてダイヤモンドのような言葉に癒され慰められる。

そのことは大切であるが、

悪魔の言葉を拾って神の言葉として喜び勇むことは争いのもととなる。

 

それだけ聖書と向き合うことは気をつけねばならないことであり、

大切なことでもある。

 

みだりに神の言葉として宣べ伝えるのも罪である事も知るべきである。

 

 

 

 

 

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